「みんなもっとブログ書けばいいのにー。」
「検索すれば出てくるような記事を改めて自分が書く必要は無いなー」

こんな会話から 「車輪の再発明」という言葉を同期のエンジニアさんに教わりました。
車輪の再発明だとしても記事は書くべき|| Woops'dez | Bloggin'

あるあるある。細かい小ネタだとか、既に他が書いてるネタだとかを気にしてるんだったら、もっと書けばいいのにー。そりゃその道の人から見ると「検索すれば出てくる」程度の話だろうけど、駆け出しエンジニアや他業界の人から見ると、今更な感じの小ネタだったり、試行錯誤していろいろ試してたり、同じ内容でも環境が違うとかだったり、それどころか書き方が違うだけでも、そういうのが結構有り難かったりするし。

でも思うに、ことBlogのことに車輪の再発明を持ち出すのは微妙に違う気がする。「それ、車輪の再発明」って揶揄されるのは、既に低コストで使い易い「何か」があるのに高コストで(とりたてて付加価値のない)似たようなものを作ってしまうことや、特にそれが「世間一般で普及してるものと互換性がない」「似たようなものどころか劣化してる」ような、「四角い車輪」だったときだと理解してるのだけど、Blogで記事を書くことにそれはあてはまらないんじゃないかなぁ。それは例えばこういうこと。

同じテーマの記事でもそれぞれの視点を持って記事を書いていけば、今まで見えなかった角度で物が見えるようになる事もあるはずですであり、それは必ず自分や他人にとってメリットになります。
車輪の再発明だとしても記事は書くべき|| Woops'dez | Bloggin'

ブログ書くのには大層なコストもかからないし、技術や製品そのものと違ってそれ自体を使い回すわけじゃないから標準化とか考える必要ないし。上のようなことを意識したら、同じテーマの記事でもそれはきっと誰の記事とも微妙に違う価値があるはずなので、「車輪の再発明」って言われたら「違います、別実装による多様性の確保です」って返してあげると喜ぶかもしれない。色んな意味で。

あと、車輪の再発明って俺は割とこっちの意図ですることが多い。もちろんオレオレ実装作って悦に入ってたら先輩に「それ車輪の再発明だから」って言われて沈黙することは多々ありますけども。

なお、教育の現場では、ある技術の意味を理解させるために、意図的に車輪の再発明を行わせる場合がある。またプログラマもしばしばその技術を深く理解して自身の技術を向上させるために敢えて車輪の再発明をすることもある。その場合、一時的には標準的なシステムと異なる路線になっても最終的にはそちらに回帰していくこともある。
車輪の再発明 - Wikipedia

車輪を理解するのに車輪を発明してみるのは結構有用だという話。「ノウハウを持っている人は大して需要ないとか思わないでどんどん書いて欲しい」のと合わせて、「『まだ技術記事を書くレベルに至ってない』って思ってる人もどんどん書いて欲しい」かな。