As Sloth As Possible

可能な限りナマケモノでありたい

カテゴリ: 意見・主張

なんか金縛りにあって眠れなくなったのでTwitter見てたら面白いやりとりをみかけた。すげー大雑把に要約すると、こんな感じ。

  1. Railsの勉強をしてる人が「なんでHello worldしたいだけなのにDB必要なの!?DB使うにしたってMySQLなんか今必要じゃないしチュートリアルではSQLiteとかにしといてくれたっていいのに!プリプリ!」みたいな呟きをする
  2. 「いやRails使うんなら普通DB要るでしょ。なんでそこに文句言ってるの。」とツッコミが入る
  3. 「とりあえずチュートリアルは一番簡単なやり方書いといてくれた方が親切じゃないですか。」と反論
  4. 「いやだから、Railsを使うのに一番当たり前の構成を作るのにはどうしたらいいかがチュートリアルでしょ。それが必要ないんなら別なの、例えばSinatraとか使えばいいじゃん。フレームワークの特性も分からずに使っておいてチュートリアルがおかしいとか筋違いだろ。」と再度ツッコミ
  5. 「Railsがどんな特性のフレームワークとか知らないから勉強してるのに…最初っからそういうの全部考えてやれって言われても…僕はただRailsを手っ取り早く学ぶ手段があればいいのにって思っただけなのに…」みたいに凹んでしまう

ってな感じ。んで、それと隣接して外野で「最初は知らないことだらけなんだからおまじないだって言っておけばいいじゃん、フレームワークの特性がーとか大鑑巨砲主義がーとかどうでもいいだろ、やってみなきゃ分かんないことだってあんじゃん」「いや不要なとこに不要なもの使おうとしてるから適切なのはこっちだって教えてやっただけだろ、なんでわざわざ面倒なことやろうとしてるのにフレームワークに文句付けてんだよ」みたいな論争が若干生じてたりとか。

なんちゅーかね。この件に関して言えば、「それRailsに文句付けるとこじゃねーよ」って指摘は妥当だとは思う。Railsは「中規模のアプリケーションを、一般的な構成で」作るときに楽になるように設計されてるものなので、それを知らないまま進むと大概後で苦労する(レールに乗るから楽なんであって、レールから外れると荒野だ。今は大分良いけど、昔は黒魔術に手を染めないとレールから外れることすらできなかったんだよ!)。

そんなの知らないから勉強してるんだろ、それは後から考えさせろって?いや、WAFの選択って、「どんな目的に何を使うか」も重要なことなので、何かWAFを学ぶってときにはそういう選択の力も付ける必要はあると思うよ。WAF一般について知りたいんじゃないんだ、Railsについて勉強してるんだって?だったらとりあえずRailsの流儀に沿っておきなよ、何か意味があるからそういう構成になってるんだよ。分からないなら文句付けてないで、何でそうなってるか考えようよ。

少しまとめる。

  • 何かにとりかかろうとして、チュートリアルの時点で「なんでこんなことせにゃならんのだ?」って思うなら、「自分がやろうとしてることに適切じゃないものを使おうとしている」か、「今取り組んでいることを正しく理解できてない」可能性を先に疑った方がいい。大概の場合は「あー俺が間違えてたわー」ってなるか「あーこういうことだったのかー」って後で分かる。まぁ本当に提供側が不親切だったりいい加減だったりすることもままあるけど、それにつっこめるのはある程度使い熟せてからだ。
  • 教える側は「これはおまじないだから、そういうことだって思ってやりなさい」を安易に使うべきじゃない。何にか躓いてるときは、何が間違ってて何が理解できてないのか把握する・させるチャンスなので、そのタイミングで教えてあげればいいのにと思う。あんまり深入りさせてなかなか最初のステップに到達しないのはアレだけど、「おまじないだからとりあえず無視して」って言っちゃうとほんの少し潜ってみる足掛かりすら失なう。
  • でも、分からないことを責めるな、とは思う。「うぇぶかいはつしゃもすなるれいるずをしてみんとてするなり」みたいな人に「お前はゴキブリ退治に第七艦隊を呼ぶのか?」みたいなツッコミ入れたってそもそも分かってなかったからそんなことしてるんでしょと。単に教えてあげればいいじゃない。

どうでもいいけどRailsは「最初の一歩」には丸っきり向いてないと思うんだけど、なんでみんなRailsやりたがるし教えたがるんだろね。不思議。

twitterの呟きをそのままブログに載せるのってどうなの?っていう記事を見て、最近思ってたことで書いてなかったなぁってことがあったのを思い出した。

元記事に書いてあることには概ね同意で、俺も個人的には「ただ載せる」だけならやんなくてもいいのになぁと思ってるけど、元記事には結構「イヤなら見るな」「別に書き手は”あなたのために”書いてるわけじゃない、あなたが見たい/見たくないものを考慮して書く必要なんかない」ってコメントが付いてたりして、それに対してもまぁそれもそうだよなぁとも思ってる。俺がどうしてるかというと、readerにその日一日のポストをまとめた記事が上がってきても単にjjjって押してスルーするだけだし、あまりそれの頻度が高いようならレートを落として週一で見るだけにしたりもういっかーってんで購読停止したりすることもあるけど、だからってそのブログを書いてる人に「もっと読む人のことを考えた投稿をすべきじゃないですか」なんて意見したりはしない。受け手側が好きに取捨選択すればいいだけの話だとしか思わないしそうするのがWebだろうとも思ってる。

けどまぁ、ねぇ、と思うこともあるのですよ。なんと言うか、もちろん腹立たしいとかではなくて、勿体ないなぁ、というか。

twitter自体は本当にただ「つぶやく」ことができるというだけのサービスなので、そこに何を流そうが流す方の自由だし、そこから何を受けとろうが受けとる方の自由。生データ。どのくらい「生」なのかと言うと、例えば鉱山にある岩塊だったり渓谷に流れる水だったり森に生えてる野草だったりするくらいの「生」加減だと思うんだよね、あれって。

で、そういうものって、もともと「そこにある」分には「そのまま」でいいと思うし、「欲しい人は自分で山に入って取ってきてね」ってスタンスだったらそれはそれでいいんだけど、「街に持ってきてみんなに配ったり売ったりしよう」と思ったら、普通は岩塊や水や野草のままじゃなくて、岩塊は鉱物を抽出して金属塊にしたり、水はペットボトルに入れておいしい水ってラベル貼ったり、野草は薬や料理にしたりするよね、っていう。そして個人的には「twitterもやっていてブログも持っている」人が「twitterで見られるものを敢えてブログに持ってくる」というのはきっと「山奥の資源を街に持って帰ってくる」に近いような位置付けじゃないのかなぁ、と思う。

別にだからどうだと言うこともない。ブログにしろtwitterにしろ、あくまで道具なので使う人が使いたいように使えばいいだろうと思うし、だから一日分のつぶやきをまとめて貼ろうが、そもそもブログそのものをtwitter的な「生のデータを生えたい放題にさせとく場所」にしたって全然構わないと思う。俺自身、(このメインブログでは基本的にそれはやってないけど)サブブログでは本当につぶやきとか日記レベルのことを書いてたりする。上に書いたようなことも単に「俺が個人的に」「受け手として」思うだけの話で誰に何を提案するわけでもましてや強制するつもりもない。けど、「勿体ないからどうせなら加工してから店に置いときゃいいのになぁ、そうしたらきっとみんなもっと喜ぶだろうに」というなんだろ、感想、みたいなものはよく抱く。素材だけじゃなくて「編集する」っていう「料理人の腕」も見てみたいなぁ、とか。そんなもやっとした結論。

内容が内容なのでぼかしつつ書くけど、今朝「最後に出されたアイスコーヒーに付いてきたガムシロップの味がとにかく気に入らなかったので、ここのフルコースは100点満点中5点でした」とかいう種類の「感想」を見た。アイスコーヒーとフルコースは比喩。実際は別な何かの話だと思って欲しい。Amazonの本でもAppStoreのアプリでも何でもいいけど。

俺自身はそこのレストランがかなり好きで、一週間と待たずにもう一度行くくらいのリピーターだから、カチンと来たのは隠さない。ただ、フルコースなんだからアイスコーヒーのガムシロップ以外にも他にいくらでも言及するとこあるだろ、と思うんだよなぁ。

その程度のことで料理全体が否定されるんなら、いっそ「アイスコーヒーへのこだわり以外見るべきところが何もない店だが、そのアイスコーヒーを安物のガムシロップが台無しにしている。ということでクソレストランだった」くらい言い切ってくれれば、味の好みが違うんだなぁ、くらいで流せるんだけど。

いやそりゃ俺もあれはガムシロ抜いて飲みたいと思ったし、この料理はくどいけどこっちは味薄いなぁ、みたいなのはあったけど。でも一個一個の料理は丁寧で手も込んでたし、全体のバランスも悪くないし、ぶっちゃけ75点くらいの出来だと思うけどなー。ガムシロが無かったら80点、もう一品多かったら90点、でも店員さんが好みの顔っていうボーナスを抜いたらやっぱり80点、くらいの評価。

いや、別にいいけど。「感想」だし。「批判」だったら怒るとこですが。

こないだ取材を受けた「「ハチロク世代」がIT業界を変える日 − @IT自分戦略研究所」という記事が先週末から公開されました。このブログから記事を見に行く人より、記事からこのブログに来る人のがずっと多いのと、あんまりこういうの慣れてないので照れちゃうから書かなくていいかな、と思ったのだけど、一応一言二言言っておきたいことがあるので書いておく。

「世代論」とか「IT業界」とか、どうでもいいのよね割と

と言っても、記事の中でも色々言ったし、UKSTUDIOのブログを読んでもらえば言いたいことはほとんど言ってくれちゃってるので、付け足すこともそんなにない。なんというか、俺を含め件の記事に出てるメンツは「力こぶモリモリ作って"時代を変えるぞ、おー!"って叫んでる」空気ではないんだよね。良くも悪くも比較的ヌルい。少なくとも俺は好きなことやってたらこうなっちゃった、っていうのが近い。

こういう特集に載った記事だし、コミュニティの名前があれなもんで結構誤解されがちなんだけど、ぶっちゃけて言うと「1986年前後に生まれた今年の新卒世代」なんていう大きな主語を背負ってなんかしたり言ったりする気はない。そもそも俺86年生まれでも新卒でもないし、(大学ドロップアウト組なのもあって)仕事でもプライベートでももう少し年上の人達と絡むことのがずっと多いし、他のメンバーも割とその辺には拘ってないようには見える。流石に自分で見てもあの座談会のメンツには偏りがあるので、別に殊更自分達を特殊だとか特別だとか言う気も無いけど、世代を代表する気も毛頭無いよとは言っておく。

あくまであそこいるのは「ハチロク世代という名前のコミュニティ」の「一部」であって、普段こんなこと考えてるよーみたいは話をしてきた、のだと思ってもらえると幸いです。

  • 「こんな若造嫌いだ、理解できない」と心配されてる先輩の方々、御安心下さい。大多数はあんなクセのある子たちじゃないです。学生時代の友人とか見てると、こうも違うもんか、と愕然としたりする程度には僕はまともじゃないみたい。
  • 「こんな子たちがウチにも欲しい」とお考えの方々、ご注意下さい。アレを拾ってくるのも手なづけるのもそれなりに面倒臭いです。こんな俺でもちゃんとどうにか使ってくれてるうちの上司の方々には頭が上がらないですわ。
  • 「お前らごときと一括りにされたくねぇ」と憤られてる同年代の方々、ごもっともです。自分は自分、他人は他人、うちはうち、よそはよそです。じゅんくんちとウチは違うの、うちはオモチャは買わない主義なの我慢しなさい!何の話だ。
  • 「あの記事読んで刺激になった、私も頑張る!」って言ってくれる同年代の方々。それが一番嬉しいです。「ハチロク世代というコミュニティ」の最大にして最上の利用価値は、「こいつらには負けてらんねぇ!」「こいつが出来るんだから俺もなんかやるんだ!」と思わせてくれる人が身近にいることなので、そう思わせられるハチロクメンバーの一人でいられるように俺もゆるーく頑張りたいです。

最後に

企画自体はとても楽しかったです。ああいう場で何か言おうと思ったときに、考えることは色々あって、とても刺激になった。こういう形で取材をしてくれた岑さんにも、声をかけてくれたyuyarinにも感謝してます。ありがとうございました!

ついでに

まぁヌルいヌルいと言いつつも何の野望も無いわけじゃなくて、別に有名になるとかお金持ちになるとか世界を変えるとかはあまり興味がないんだけど、「お前誰よ?」って言ってた人が「○○を作ったfaultierです」って自己紹介したら「あー!あの!」ってなるような「何かを創り」たいなくらいには思ってたりしたりしなかったり。これでもエンジニアのはしくれですし。faultier先生の次回作にご期待下さい!

つまり、一部のヘビーユーザーの嗜好が強く反映されすぎると、新規ユーザーの開拓が阻害されるかもしれない。

それならば、ヘビーユーザーの嗜好を運営が否定していいのか。

否定していいはずがないし、少なくともはてなはやらないだろう。このまま流れに身を任せるだろう。その結果このようなエントリーだらけになってしまったら、さすがにライブドアクリップやdeliciousにユーザーが流れると思う。
運営の手でCGMサイトにおけるヘビーユーザーの影響力を薄める行為の是非が問われているのかもしれない。
SBMのゆくえ 〜運営がヘビーユーザーの影響力を薄めるべきか〜 - Core

クリップに流れてきてくれる分には俺としては嬉しいけど、それはまぁそれとして、ちょっと思うところがあったので色々考えてたらまとまらなくなったので書きながら考えることにする。

偏って欲しいわけはない

本気で「集合知」だとか「Web 2.0メディア」だとかを掲げて、新しいメディアの形なんですって方針でビジネスをやるんだとしたら、今の状態はどう見たってアリかナシかでいうとナシだろう。大体いつ見ても、はてブでは揉め事や増田の記事が目に付くし、クリップなら2ちゃんまとめが結構な頻度で上がってくるし、どこのSBMでもPHPだCSSだPhotoshopだギークだアルファブロガーだライフハックだ、って記事が上がってきやすい。もちろんそれだけじゃないけど、偏りがあるのは事実だ。で、友達にそれだけ見せて「これ何が面白いの?」って聞かれたら上手く説明する自信がないし、ましてやばーちゃんに、親父に、妹に、勧められるかと問われたら難しい。

なぜそうなのかは、もう仕組み上そうだからとしか言いようがない。ある種類の人々に特に好かれるサービスだから、放っておけば勝手に特定の傾向に偏り始めるし、またその手の人々に影響されやすい人やランキングを見た人がそのランキングを補強し、そうして出来た偏りのあるランキングに魅かれてやってきた人ってのもまた同じような偏りのあるポストをする。そうして繰り返し補強される偏りのスパイラル。フォークソノミー的なものの実験としてはSBMは失敗だったと見ていいと思う。

加えて、スパム業者という連中は貪欲で、そこに露出する場があると見るとどんなとこにでもやってくる。お前らほんともういい加減にせーよってくらいあの手この手でランキングを操作しようと頑張ってる。いかがわしい商品を売り付けようとする奴らもそうだけど、最近だとSEOだなんだって言って顧客をそそのかしてツールを売り付けたりゴミPOSTでPVを稼いでほら効果がでましたよ、なんてやってるろくでもないのがいたりして、日々そういうのを相手にしてるとなんだかやりきれない気持ちになってくる。

結局、放っておいて自然に「新しいメディア」や「知の集積」ができるはずもないので、それをやりたいのであれば「運営がコントロール」するのは必然。是非が問われる、とかじゃなくて、そうせざるを得ない。それが当初の思想、「"みんな"が"みんな"へ発信するメディア」に矛盾するとしても、だ。

本当に「人気ページ」を見てもらう必要はあるのか

そういうわけで、偏りは好ましくないし運営サイドがコントロールしなきゃだめなんだろうとは思うのだけど、ただ個人的には「好ましくないが致命的ではない」と考えている。致命的でないというのは、放置していいということではなくて、他のことを優先したほうがいい、という程度の意味でだけど。何故かと言えば、そもそもSBMが「"みんな"から"みんな"へ」のメディアだなんて思ってないから。

そもそも構造的欠陥がなくて、スパマーは駆逐されていて、皆が冷静で賢明だったとして、それでじゃあ有益で面白い情報が効率的に集積されたかというと、きっとされないと思う。万人が選ぶ万人の為の情報なんて、当たり障りのない情報だけが集まるか、いろんな情報がバランス良く集まるか、どっちにせよ取り立てて面白くないだろうし、結局その「バランスのいい」情報の塊を自分でフィルタリングするはめになるだけだと思う。

つまるところ「人気ランキング」なんてのは、勝手に偏るか、集計者に都合のいい方向に偏るか、偏らないが故に意味を為さないか、どれかでしかない。だから然程重要だと思わない。いや、言い直そう。俺(もしくはあなた)にとって重要なものにすることはできるけど、みんなにとって等しく重要なものにはできない。「面白い」も「有益」も見る人によって価値が違うのだからそんなものだなぁと思うし、だから"みんな"から"みんな"へは無理があるんだと思う。

「みんな」じゃなくて「誰か」の言ってることを聞ければいい

他のCGM系のサービスを考えてみるといい。ブログを見るとき、そのブログサービスのランキングに上がってくるものを片端から読むか。SNSでフレンドが多い人の記事を片端から読むか。ミニブログでパブリックタイムラインを全部追うか。いやまぁ、「全部を見る」のが仕事だったり趣味だったりする人がぱっと何人か思い浮かぶには浮かぶけど…それはそれとして、普通は特定の気にいった人のブログを定期的に読むし、SNSでは身近な友人と慣れ合うし、ミニブログでは同じクラスタで固まるよな、と。

SBMもそれと同じで、「みんなが決めた人気の記事」を追うよりも、その分野では誰より鼻が効くあの方や、何故かいつも自分がブックマークする記事をブックマークしてるあの人や、毎回気の効いたコメントしてるあいつ、のリストに注目してた方がずっと面白い。その方が、人気はないけど凄く面白くて為になる記事に出会えたり、ブクマ数だけ多いけど全然興味がない記事にあたってしまう確立を下げたりできる。もちろんランキングや新着はそれはそれで面白い人には面白いんだけど(実際俺は増田も非モテもまとめブログもWebデザインもライフハックも割と好きだけど)、ニュースソースやネタの狩り場にするには精度が低すぎる。

つまるところ、SBMは"みんな"の意見・情報を集約して"みんな"に届けるシステムではなくて、"誰か"の意見・情報を"誰か"に届ける「個人から個人へ」のシステムなんだと思う。"みんな"の知識なんて、言われている程集約するものではない。集約させる機能は、あくまでSBMの一側面に過ぎなくて、現状はそれ以上に他の側面の方がより有益だろうと思う。

結局何が言いたいのかというと

ホッテントリが偏ってるって話は、ランキングが面白くないとか、運営が調整すべきかどうかとか、そういうことじゃなくて、他の面白い側面よりもランキング的なものの方に目が行きやすいから、いかにして他の側面をアピールできるか、ということの方が本当の課題だと思う。SBMでは必ずしも数字やランキングが、主軸ではないので。

例えばクリップはしばらく前からコメントを全面に押し出すようにして、ウォッチリスト(お気に入りリスト)の見栄えをミニブログのタイムライン風にしてみた。Buzzurlはグループで小規模なSBMとして使えるようなBuzzurl Plusというサービスを出していた。これも出たのはしばらく前だけど、「注釈」にフォーカスしたコモンズマーカーとかも面白い(SBMと言っていいのかは微妙だけど)。それから、はてブそうだけどクリップも、最近はレコメンデーションに結構力を入れてる。これは「みんなへ」じゃなくて「あなたへ」の方に力を入れたくてやってる。

つまりだね。みんなウォッチリスト/お気に入り活用してね、ってのと、ランキングばっかり見てないで他の面白い使い方見つけてくれると嬉しいな、言ってくれれば色々やるからさ、ってとこですかね。

元記事にならってホッテントリメーカーでタイトルを付けてみた。変身願望とソーシャルブックマークの共通点はちょっと面白そうだが、内容は全く関係ない。実はもっと良いタイトルがあったんだけどあとで本当に書きたいので使わなかったのは内緒。

それはともかく、ぼくが「はてなブックマーク」を使う際に注意している点は、こんな感じです。
1・「新聞記事」にブックマークしない(何か月か経つと消えてしまうので)(追記:必要ならば自分の日記に引用して言及する)
2・ネタの新旧は問わない(新しいものばかりを追わない・非時事性を追求する)
3・ネガティヴ・コメントをつけてみたくなるようなエントリーはブックマークしない(ぼくのブックマークに、あまり汚い言葉を並べたくない)
[ネット]はてなブックマークの9割はクズ(ぼくのはてなブックマークの使いかた) - 愛・蔵太のもう少し調べて書きたい日記

これを読んでてつらつらと考えごとをしてた。上記の3点はわかるんだけど、俺この辺のことに拘らず使ってるなー、てか今後も拘らずに使うんだろうなー、と思ったので。うーん。なんでそこに拘らないんだろ、と考えてみて、俺にとってのSBMって「情報集積のためのツール」とは限らないからなんだろうなーと気付いた。SBMにとあるページをポストする理由として、自分に思い当たるのはこんなところ。

  1. あとで必要となるであろう情報を参照しやすい形で整理
  2. 自分が見た情報を、(特定の、あるいは不特定の)誰かに自分の何らかの意思表示を添えて教える
  3. 単に「この話題に興味を持ち、見た」という印

あとで必要となるであろう情報を参照しやすい形で整理

俺にとっては技術系の情報とか面白そうなサービスとかをクリップするときがこのケースにあたる。イメージとしては、辞書や百科事典に新しい項目を追加するような感覚。これをするときは、タグも慎重に選ぶし、コメントするにしても「コンテンツに対する付加情報」になるようにする。何故ならばそのコンテンツが「あとで自分で見返す」ことや「誰かの情報検索の網にひっかかる」ことを想定するから。フォークソノミーとかそういうあれ。あと、自分でネガティブな評価を下したものをこの目的の為にクリップするとはあまりない。あんまりにも酷い事例を反面教師にするために入れることはあるかもしれにあけど、通常は評価の低いものを敢えてデータベースに入れることの価値は薄い。ノイズが増えるだけだから。

自分が見た情報を、(特定の、あるいは不特定の)誰かに自分の何らかの意思表示を添えて教える

このケースにあたるのは、ニュース記事やネタ記事、ニコ動の動画、ネット上の揉め事、自社や自分の作ってるサービスに関わりのある話題など。この場合、タグはかなり自由に付けるし、コメントも感情や意見を入れるし、ページが消える可能性があるとか時期を逃すと意味が薄れるような「旬がある」コンテンツであることも多い。

注意が向くのは「自分の、あるいは全体の、『SBMというデータベース』においてどういう意味を持つか」ではなく、「『このエントリを見る人』にとってどういう意味を持つか」。友達や会社の同僚はもちろんのこと、俺のクリップやはてブをお気に入りやRSSリーダで読んでるどこかの誰か、もっと拡大してホッテントリや新着をウォッチしてる人に対して「こういうコンテンツがあり、俺はこう思うんだけど、見てみない?」というオススメのつもりなんだな。重要なのは、この側面においては「個性溢れるタグ付けもネガコメも時間軸が意味を持つコンテンツも、意味がある」ってこと。

単に「この話題に興味を持ち、かつ見た」という印

これはもう、そのまま、文字通りクリップ。上記二つに該当しないコンテンツなのにも関わらず無意識にブックマークレットに手が伸びてることが良くあるんだけど、それらの全てが多分知らず知らずにこの目的にかなってる。もちろん、上記二つに該当しているものも、「クリップした」時点でその意味を持つ。

これが何の役に立つかと言うと、例えば俺のクリップを見るだけでも、「この人は多分Web業界の人で、MacでRuby書いたりしてるんだろうなー」とか「電脳コイルとかアイマスとかが好きなヲタ気味の人なんだろうなー」とか「アジャイル(笑)とかオープン(笑)とかは好きみたいだけど、スーツ(笑)とかスイーツ(笑)とかにはやたら噛み付くなー」とか、そういうことが読み取れる。あるいは、自分と同じコンテンツをクリップしてるようなら、特に前置きをしなくてもある話題について話せる可能性が高いな、と推測する材料にできる。さらに、人のだけでなく自分自身で見ても、「あー俺あんときあのアニメにハマってたんだなー」とか「多分あれの勉強し始めたのこの時期かなー」とか思い出せて結構楽しい。

つまりどういうことかというと、沢山クリップしてる人はその人のリストを見るとなんとなく人となりが想像できたりするわけだ。んでもって、ここでも必ずしも「タグがコンテンツを正確に分類しているか」や「記事が時間経過に関わらず参照可能か」ということは重要ではない。

SBMのSはソーシャルのS

SBMの意味や使い方が語られるとき、特にフォークソノミーとかレコメンデーションを研究してる人や、俗に言うライフハックが好きな人の口から語られるときは、1の要素が重要視される傾向が強いような気がしている。あれだ。「集合知」ってやつ。ただこれ、今現状のSBMでは本当の意味で実現するのは難しいと思ってる。なんでかと言うと、そこにいるユーザが全体で「意識的に」「厳格に」この使い方を目指さないと精度が上がらないから。さらに、これは作り手としても反省点なんだけど、UIの問題で過去の資産を使い易い作りになっていない。ぶっちゃけ、ググった方がはえーよな、と思ってしまったりする。いや、直したい。これに関してはもっと上手いUIにできたらな、と思うんだけど、現状としてはそうなのは事実。

一方で、2や3に関しては、ユーザ各々がかなり自由に振る舞っても、面白いものが集積されうると思うし、実際はてブとか見てるとそういう風に使われてるように見える。それに加えて、はてブ・LDクリップ・Buzzurlあたりに最近どういう機能追加の傾向があるかも見てみると面白いよ。さて、SBMのSってなんだろう。SBMのSは1の意味では「集合知の形成、集団の行動が起こす現象」を意味してるんだけど、2や3ではもっとストレートに「コミュニケーションや自己表現」という形で表れてくる。だから、1の目的のためには「気を付けるべきこと」がそれ以外の目的のためには「気を付けててもいいかもしれないね、くらいのこと」になるんだよな。

まとめ

大分あっちこっちに思考が飛びそうになってきたのでそろそろ纒める。別に元記事に異を唱えたくてこのエントリを書いたわけではなくて。重要なニュースへの参照を残しておきたければいずれ消える元記事ではなくて魚拓や引用記事をクリップした方が情報としては有益だし、ちょっと論点が違うけどprotectedなURLをクリップするのとかも個人的には好きじゃない(ニコ動はprotectedだけど、はてブやクリップ上で再生できるのでありかなと思ってる)。ネタの新旧拘らず良い情報を拾ってきてくれるユーザが増えれば皆嬉しい。ネガコメ云々は色々面倒くさそうなので言及しないけど「ぼくのブックマークに、あまり汚い言葉を並べたくない」は一個人の方針としては素敵だと思う。だから、それはいいと思う。どんどんやって欲しいと思う。

そう思った上で、時間経過すると参照不可能になったり、クリップする当人がネガティブな評価を下しているコンテンツであったりしても、「それをクリップする行為」は十分に意味のある「情報」であると考えたので、そっちもどんどんやってくれればいいなぁと思った。長々と書いて結論は「好きに使え」かよ。おい。

今日は東工大で行なわれたSBM研究会に参加してきた。是非感想をmixiかブログに書いてくださいとのことだったので、感想と考えたことをまとめる。

とても新鮮だった

一番印象的だったのは、集まった人に結構いろんな立場の人がいたこと。SBM研究会には、大手SI企業の人、データマイニングやレコメンデーションの研究をしている研究者、Webサービスの開発者や運営者、技術好きな学生などなど。

これはとても新鮮だった。仕事柄というか趣味でというか、ここ最近技術系のカンファレンスや勉強会に何度か足を運んでいるのだけど、その雰囲気とはまるで違う。俺は興味の方向が基本的に「コンシューマ向けのWebサービス」に向いているので、普段はBtoBな業界の方や研究者の方と交流する機会は少ない。こうして同じ場に集まることで、視点の違い、空気の違いを感じられて刺激を受けることができて良かった。

印象に残った発表

どれも興味深い内容だったのだけど、専門的になるし内容も濃いので、具体的な話は発表者の方や他の参加者の方にお任せするとして、いくつか印象に残った発表についての雑感を。

ソーシャルメディアとマーケティング

発表者は学びing株式会社の横田さん。SBMの歴史をざっとなぞり、現状のソーシャルメディアはどういう状況に置かれていて、今後どう展開していくのが良いだろうかという提案だった。

まずSBM、というよりはオンラインブックマークというサービスを、del.icio.us以前の「ブレイク前」と以降の「ブレイク後」に分けて、その違いを考察。最大の違いは「ローカルのブックマークのバックアップ、ストレージであったものが、del.icio.us以降は日用のツールになった」ことだと指摘。また、評価の可視化、ブログの興隆による「パーマリンク」の増加、ソーシャルタギングなどの分類手法が「ブレイク前」とは異なる成功要因である、とも。

次いで現状のSBMの置かれている状況について。「ブレイク後」とは言え、アンケート結果によると日本では7%強程度の「ユーザ」しかいないとの事実を指摘。まだまだSBMはいわゆる「キャズムを越えていない」ものだってのは共通認識ではあるんだけど、実際に数字を見せられると流石に愕然とする。7%って。いかに自分たちがいる界隈が「濃ゆい」集団かってことを再認識せざるを得ない。もちろんこれはSBMを「ツールとして」「意識的に、能動的に」使ってるユーザの話であって、それと気付かず検索結果などからSBMに辿りついたり、実態は領域特化型のSBMだけれどもSBMと呼ばれていないサービスを使っている人は含まれていない。とはいえ、はっきり言ってまだ「あまりにもパイが小さい」のは確か。

それを踏まえた上で、現状で無理に一般層へアプローチするのではなく、「閉鎖空間」をキーワードに、一度ターゲットを狭めて存在感を高めてからより汎用的なものを目指すべきではないか、との提案があった。例えば領域特化型のSBM、イントラSBM、モバイルSBM、など。実際にニッチなSBMやイントラSBMはちらほら存在感を増してきてはいるんだけど、モバイルSBMに関しては今のところまだ目立った成功例がないみたいだし、俺も個人的には懐疑的。理由として横田さんは「mixiやモバゲーなどのコミュニティがサイト内で出しているニュースや更新情報が、PCの文化に置けるSBMの情報配信の役割を果しているのではないか」と言っていたけど、多分、単純に「SBMにポストしづらい」のが最大の原因だと思う。ブックマークレットやアプリケーションを使えないし、URLをコピペしづらいし、それ以前にそもそも携帯端末でのブラウジング中に「URL」を意識する場面が非常に少ない。そういう障害が一気に打破されるような何かが出てこない限り、モバイル文化にSBMは定着しないのかなーと思う。

ちなみに、横田さんのプレゼンはとても面白かった。内容もさることながら飽きさせない話し方が良かった。影響力がもっとも強いのはやるおなのではないか。

Webの世界に「気付き」を集積するコモンズ・マーカー

発表者はコモンズ・メディアの星さん。先日リリースされたばかりのコモンズ・マーカーの紹介。何がどう凄いのかは実際に使ってみたりyuguiさんの記事を見たりしてもらう方が早いと思うので、敢えて解説はしない。

関心したのはそのUIへのこだわり。敢えて付箋のメタファーを捨て、いかにマークとコメントを効率良く閲覧できるかを追求した話は参考になった。そうだよなぁ、他にベターな解があるなら、別に「現実にある何か」に似せる必要はない。この辺はUIの設計の話になるのでまた別の機会につきつめて考えることにする。

あと、印象的だったのは、「引用部とコメントをセットにして一つのマーカー」にする、という見せ方。引用部とコメントが対になっていることで、単体でコンテンツたり得るということ。星さんはコモンズ・マーカーを「注釈を付けるサービスであると同時に、簡単にWeblogを記録できるサービス」だと言っていたけど、これはあれだ…Tumblrに似てるんだ。ページを軸にしてマーカーを並べると、「あるコンテンツに対しての注釈・解釈」に見えるのに、人を軸にして並べると、「その人が何を見てどう思ったのかが綴られた記録」に見える。それだけでその人の個性が出てくるし、それ自体が立派なコンテンツになる。これは面白い。

ただ、見ていて思ったのは、SBMに似てはいるけど、SBMとはまた少しベクトルの違うサービスかな、ということ。今SBMが担っている役割のうち、アノテーションに大きく重心を傾けたサービスのように思える。一応、タギングなども供えてはいるのだけど、評価や分類と言った要素はメインではないし、逆にそっちに重心を戻すとせっかく新しく生まれた魅力が減ってしまう気もする。今後コモンズ・マーカーがどう発展するのか、非常に気になるところ。

パネルディスカッション

パネラーのみずほ情報総研の吉川さんが紹介した、社内SBMの導入事例が面白かった。社内SBMを導入したことで、少なくともユーザ同士は同じ情報を見たという前提を共有できていることで、議論の前段の前提の確認のための時間が減って、よりコミュニケーションに集中できるようになった、とのこと。また、導入当初は一部署で始めて、その後ユーザ数を拡大した際に「ノイズが増えて情報共有のコストが上がる」ことが懸念されたが、「むしろ他部署の動向が知れて有益」と概ね好評でノイズの増加は起きなかった、とのこと。あと、社内文書もクリップできるようにしていたが、実際には社内文書のクリップは殆どされなかった、とも。面白い。うちだったら社内にもクリップしたいリソースは山程あるんだけどなー。

それから、社内SBMを導入したみずほ情報総研、コンシューマ向けにグループ単位のSBM「BuzzurlPlus」をリリースしたECナビが共に「コミュニティを志向し、コメントを付ける文化を求めた」ことも興味深い。ここは実はlivedoorクリップチームも同意見で、今後のSBMの展開にはキーになると思っている。

その他、全体的な印象

レコメンデーションという切り口でSBMに着目している人が多かった印象。確かに、社会学や情報工学の分野の研究材料としては大変面白いデータが集積されているし、マーケティングのツールとしてもレコメンデーションは重要な要素だ。だけど、「コンテンツの評価軸としてのSBM」や「コミュニティとしてのSBM」への言及が少なかったことが気になる。これについては後述する。

あと、まぁ分かり切ってたことだけど、はてブ人気すぎ。ほぼ全プレゼン中で言及されてnaoyaさんがニヤニヤしたり苦笑したりしてるのが面白かった。ただ、まぁ、一応SBMサービスの提供者として言っておくと、「はてブの長所・欠点」をそのまま「SBMの長所・欠点」みたいに語るのはもう少し慎重になって欲しいなと思った。そこ、クリップなら違うことやってんだけど、やっぱ見てないかー、とか何度か言いたくなった。ちょっと残念。まだ努力が必要だなー。

研究会に対して不満に思ったこと

とりあえずこれだけは書かないわけには行かないと思ってたので書く。

なんでmixi?

今回のSBM研究会は、mixiイベントを使って告知され、mixiイベント上で参加者の管理が為された。また、感想もmixiで書くよう勧められ、(参加者は全員mixiのユーザーであるのが前提なので)是非mixi上で交流を持ちましょう、とも言われた。mixiがサービスとして良いか悪いかは話がそれるのでここでは語る気はないが、言いたいのは、SBM研究会という会を運営するにあたってその方法は適切だったのか、ということ。

(追記: 6月末にブログ告知とメール応募もしてたのは知ってたけど、4月時点での告知、5月末のTechTalk.jpでの告知には気付いてなかった。うわー、これは恥かしい。俺の勘違いですね、すいません。まぁでもそれでもmixiイベントでの運用と、感想をmixiに書くように勧めるたことは微妙だなーと思うので、ここの記述は残しておきます。あとTechTalk.jpは素敵すぎる。ちゃんとチェックしとこう。)

mixiは規模こそ巨大ではあるものの、「閲覧にも書き込みにもアカウントが必要なクローズドなコミュニティ」であることに変わりはない。である以上、その中の情報に検索で到達することができないし、SBMを使って周知することもできない。本来ならリーチし得たはずのSBMに関心があり有益な情報を持っている人が、この研究会の存在を知ることができなかったり、知っていても参加できなかったりした可能性がある。

はっきり言う。「SBMの」研究会なのに「SBMがカバーしていない」場所で行なわれる意味が、全くわからない。最初からブログで告知して、メールで参加者を募るなりして、感想はブログに書いてSBMでブックマークすること、という方法の方が適切ではなかったのだろうか。俺だって、Twitterでたまたまこの話を聞かなければそもそも存在すら知らなかった、いや、「知れなかった」。それから、今回の参加者のブログ記事は情報の共有がしやすいように「SBM研究会」タグを付けてください、とまで指示が出ているにも関わらず、一方でmixiアカウントが無ければ閲覧すらできない場所に感想を書くことを推奨するとはどういうことなんだろう。何か理由があるのなら是非教えて欲しいし、そうでないのなら次回以降は違う方法を検討して欲しい。

サービス提供者の視点で語ってくれる人が欲しかった

それから、若干気になったのは、発表内容がビジネスと学術に偏り気味だったこと。例えば、レコメンデーションやフォークソノミーの研究対象として見た場合に、SBMはデータの集合として捉えられる場合が多い。だけどそれだと、ユーザ同士のコミュニティが作る文化や、元のコンテンツに付加されたコメントが生み出す価値や、UIによるユーザ動向の変化など、SBMという「サービス」に重要な要素が出てこない。

もちろん、学術的な研究対象としては非常に扱い辛いものであることも、ビジネスの観点では優先順位として低いことも、十分にわかる。それから、吉川さんや宇佐美さんの話はその辺にも触れたし、コモンズ・マーカーの紹介もあったわけで、それはそれで大変参考になった。だけど、1セッション使ってその辺を掘り下げてたり一般化したりした話があってもいいくらいのテーマなのに、それが無かったのが残念だ。

最後に

いくつか不満は挙げたけども、各発表は興味深いものばかりだったし、この研究会を通じて知り合えた方々からもすごく刺激を受けた。全体としては本当に有益な時間でした。運営の方、発表者の方、休憩時間や解散した後の飲み会でお話させてもらった方、本当にみなさんありがとうございました。

ウープスデザインブログ >> デザイナとの打ち合わせってどうすればいいの?を読んで、ほー、と関心する一方で相当考え方が違ったので面白くなって書いてみる。仕事の進め方、プログラマ編。

あ、でも先に言っておくと、俺は「ベンチャーで、Webで、デザイナもディレクタも社内の人間で、自社サービス」っていう非常に限られた領域でしか仕事をしてきたことがないので、今から書くことがプログラマ一般に適用できる話だとは思ってません。タイトルはそういう意図。なので、あくまで上記の前提条件があった上での話だと思って読んでください。

1.やりたいことをある程度洗い出す

「なんかやりたい」とかいう漠然とした要望では流石に「で、俺は何作ればいいのよ」と答えたくもなるので、ある程度まとまるまでやりたいことを出してきて下さい。でも、ここで重要なのは全部洗い出す必要はないってことです。やりたいことがはっきり形になるまでには時間がかかるし、作ってる最中に絶対に軌道修正したくなります。あまつさえ方向転換したくなることもあります。最初から完璧な完成形が見えてる人なんていないんだから、当然です。

作ったものを修正しなきゃらななくなったとしても、無駄ではありません。思い付きであっちこっちフラフラするのはダメすぎますが、作ってる最中に、考えてるときには見えなかった問題にぶつかったり、より良い案が見つかったりすることは多々あります、というか無いことの方が珍しいです。そんなときに「でも、これだけ時間かけちゃったし、リリース予定日も近いし、今さら後戻りするわけには…」なんて言い出すくらいなら、最初から時間をかけなければいい。さくっと考えてさくっと作ってみて、直しては進め、進めてはまた考えていけばいい。1ステップにかける時間が少なければ、何度もステップを重ねられるし、どこかの時点までの作業が無駄になるとしても損失は少ない。

よく、気合いの入ったpptの画面設計書とか作ってくるディレクタさんがいますが、あれはやめて欲しい。プログラマ相手なら、顔付き合せて話して、その最中にホワイトボードに適当に絵でも書いてくれれば十分です。もし先にしっかりしたイメージを用意したいなら、デザイナさんにイメージを作ってもらうか、もっと言えばマークアップエンジニアさんにモック(システム的な部分は作り込まず、HTMLでガワだけ作ったもの)を用意してもらった方がありがたいけど、それだって時間がかかるので絶対必要なものではないです。パワポを書くのに時間を掛けるくらいなら、適当でもいいから動くもの作ってそれについてあれこれ議論した方が有意義です。要素だって、「その機能に必要なもの」を出してくれさえすればそれ以外はあとからどうとでもできる。細かい文言とか先に全部決めちゃっても後から直すはめになるのだから。

2.優先順位をつける

上記で羅列した内容に手書きで順番を付けるだけで構いません。初歩的なことですが、これをしておくと「どうでもいい機能を作り込んでしまったばかりに本質的なところが時間に追われて間に合わせになる」などおかしなコトにはならないハズです。さらに、優先順位がしっかりとプログラマに伝わるのでそれらの意図を組んだ上で機能的に分かりやすく意味付けしてくれるハズです。多分。

3.希望する見た目を添付する

まぁ、プログラマには、いらんと思います。競合になりそうなサービス、とかは勿論チェックしますが、あんまり「こういうの!」って言われるとそれを作っちゃうので注意です。「Twitterみたいの!」って言われるとTwitter作っちゃいます。いや、それは作る側の問題ではあるんだけど。

4.経緯、展望を話す

ここまでに何度となくプログラマとディレクタの打ち合わせはしてると思いますが、その中で経緯と展望を話すのを忘れないでください。つまり、経緯と展望を話すのを忘れないでください。大事なことなので二度言いました。ここまでの手順を踏んでいるだけでは、何も聞かされないで仕事を振られるよりはいい、程度の仕事ができるだけです。「何でそれを作りたいのか、それをどうしたいのか」が伝わっていないと、諸々の理由で見当違いのものができてくることが多々あります。バックグラウンドが共有されていれば、技術者として、作り手としてのアドバイスや新しいアイディアが出せるかもしれません。でも、ただ「これやって」だと、良くわかんないけどやっつけで作っちゃうとか、良かれと思って作り込んで明後日の方向に暴走するとか、結構な確率で起きてきます。

だから経緯と展望を話すのを忘れないでください。三度言いました。

5.質疑応答

ちょっとやっては直し、直しつつ考え、考えつつ作る、みたいなことをしてるとお互いが質問しあうのが日常になってると思いますが、億劫がらずに答えてあげて下さい。逆に、忙しそうだから聞いちゃ悪いかな、とか、こんな初歩的なこと聞くのもアレかな、とか、そんなこと思ってないでどんどん聞いて下さい。

こんなことを公言するのもどうかと思いますが、面倒臭いという理由で聞きたいことを後回しにしたり、質問されたときに「あとで確認しときます」とか答えたりするような悪癖を持ったfaultierとかfaulistとかとにかくfauがつくなんとかって人がいたりしますが、そういうのは悪いナマケモノなので、良いナマケモノに育つよう叱りつけてやって下さい。ごめんなさい。気をつけます。

最後に

こういった流れを踏んでおくと、物事が前後したり抜けたりしてもお互いスムーズに気持ちが良く仕事が出来るハズです。一緒に仕事をしてるディレクタさんですごく気持ちよく仕事ができる方がいますが、その人と仕事をしてるときは実際これに近いことをやってくれてたりします。

開発の作業は間違うとその損失を取り戻すのに長い時間がかかってしまうこともしばしばありますが、大抵そこに至るには「間違ったまま進んでしまった」ときです。それらは納期を脅かし、コストにも影響しますので、ついつい「しっかりやろう」としがちです。逆に考えるんだ。何回か間違えてもいいから、進むときはより良い方向に進む、こうすればいいじゃないか。最初に全部準備しようとか、一度決めた方針や納期は変えないとか、そういう鈍重さはWebサービス開発にはいらないと思うんだ。コストや納期のことを考えればこそ。

今回はfaultier目線で書いてしまったのですが、自分自身も相手の立場にたってより良い提案や先回りの仕事をしていきたいと思います。

重ねて言いますが、これが外注先とのやりとり、とかいう話だったら元記事の手順がきっと当然なのかもしれない(というかその世界を知らないのでなんとも言えない)。加えて元記事はデザイナの話で、俺はプログラマの話。仕事の流儀が違うことも多々あるかもしれない。とはいえ、少なくとも自社のWebサービス開発でディレクタもプログラマもデザイナもみんな社内の人間なんだったら、もう少し良いやりかたがあるんじゃないかと思って書いてみた次第です。

追記

危うくスルーするところだった。

プログラマ編。同じような手順を踏んでいて、違う目線で書いてあるので面白い。でも経緯と展望のところは一緒なんやね。表側(デザイン)と裏側(プログラム)の違いが良く分かる感じ。

違うよ。全然違うよ。違いは表側か裏側かなんかじゃないよ。少なくとも俺は自分が作ったシステムが「動き」になってどういう風にユーザの前に表われるかまで考えて作るし、デザイナだって「一枚絵」じゃなくてどう動くかまでを考えて描くでしょ。どちらかがどちらかしか見てないとすればそれはそれで大問題だよ。

本質的な違いはそこじゃない。何で「最初に万全に準備を整えて後のリスクを減らして下さい」に対して「最初にコストをかけようとしないで細かいステップで進んで下さい」っていう真逆の発想に至ったか、そこに横たわる溝がなんなのかを考えて欲しいなー。

iPhone 用の開発は Objective-C なのか。これまたマイナーな……。真っ先に思い浮かんだのが io だった自分もちょっとどうかと思うんだけどね。しかし最悪でも Java にしようとは思わなかったのかな。
もしかして全然興味が無いObjective-Cを覚えなきゃならないのかなあ。

思ったか思わなかったかはわからないけども、正直その選択肢は無かったか有ってもかなり可能性は低かったはず。Javaが良い悪いではなくて、iPhoneがMac OSXである以上、Javaをメイン開発言語として採用するのは変だから。

だって、Mac OSX自体がそもそももうCocoa-Javaのサポートをしてないから。Macのネイティブアプリ開発環境はObjCとCに完全にシフトしてるし、他言語とのブリッジはRubyCocoaやPyObjCなどLLの方面に力を入れている。つまり既に一度「ObjCなんてマイナーな言語はみんな使ってくれないから、Javaで書いてもらおうぜ → やっぱMac OSXはObjCだよObjC」っていう道を辿ってるんだよね、Appleは。

仮にJavaをiPhoneの開発言語にするとしたら、一度は捨てたCocoa-Javaを無理矢理掘り起こしてくるか新しく作り直すかして、ただでさえリソースがタイトなiPhoneにJavaVM+iPhoneUI用のクラスライブラリを載せなきゃならなくて、そのコストを支払ってまでJavaにするメリットがあるかと言うと微妙。「Java開発者がiPhoneアプリを作り易い」よりも、「iPhoneのアプリを作りたいからObjCを勉強する」って人が増えてくれる効果の方がAppleにとっては嬉しいはず。というか、それだったらどうせならRubyCocoaやPyObjCを載せるんじゃないかなーと思う。

何より、マイナーマイナーとは言うけども、現実に「Mac OSXはObjCをメインの言語として採用」してるわけで、Macアプリ開発者は数はそう多くないけどそれなりにはいる。少なくとも今やObjCはもう「誰も知らないし、誰も使ってない」言語じゃない。それにObjCはあれで結構使い勝手が良いし、Cocoaもかなり強力だよ。あのダイナミックさ加減とか、Smalltalkっぽい文法とか、慣れると面白くなってくる。要するにObjC可愛いよObjC。

まとめると、

  • JavaはMacOSXにとってはそんなに重要な位置を占めてない
  • リソースのタイトなiPhoneにJavaVM+Cocoa touch互換クラスライブラリを載せる余裕は無さげ
  • というかObjC可愛いよObjC

ってことで全然興味が無いとか言わずに「マイナーな」Objective-Cでもいじってみてはどうでしょうか。

会社で「何かとパワポのファイルでやりとりしたがる文化」がいかに害悪かという話をした。正直どこいっても何度となく出てくる話なので言う方も聞く方も「またか」とうんざりしてるんだけど、一向に撲滅される気配がないので気が滅入る。

言いたいことは一つだけ。少なくとも仕事の依頼を「詳細は添付のppt(もしくはxls、さもなくばdoc)をご覧ください」でしてこないで下さいお願いします。

勿論Officeツールを完全に否定する気はなくて、そりゃ誰でも簡単に使えてそこそこ見栄えが良くて、直感的にわかる資料を作れるって点は認めてもいい。もっと厳密に言うと「そういうことになってる」がつくと思うけど、まぁいいや。で、代替のモノが社内外を問わず爆発的に広がりでもしない限り、営業さんやディレクターさんが使うのを止めるとも思ってない。そりゃしかたない。

だからさ、例えば「上司や顧客に報告書やコンセプトの資料を提出する」ならありだと思う。同様のものをデザイナーさんに渡すのもありだと思う(とデザイナーさんが言ってた)。また、そういう資料を印刷して会議であーだこーだ言うのも悪くない。パッと見て分かるし、メモしたりも出来るし。まぁ、それなら手書き資料でブレストしてそれを元にデザイナーがモックを作る方がよっぽど効率的だとは思うけど。

ただね。ITSに「今回の案件の詳細とタスク一覧です」ってだけ書いてあって、「詳細は添付資料にて」とかなってると流石にイラッとするわけで。そのタスクを1トピックにしろと。その詳細をトピックに書けと。何の為のIssue Tracking Systemなんだと。

大体コード書くお仕事の僕らにとってはOfficeのファイルなんて、検索できねーし開くの重いし再利用しづらいしバージョン管理されないしディスク容量も表示領域も馬鹿食いするしでろくなもんじゃない。んで開いたらタスクが箇条書きしてある他には中途半端に綺麗な背景画像があるだけとかで、泣ける。作業中断してまで見たくなんかないよそんなの。悲しいかなどこの会社行ってもそんなで、文句言う相手によっては「それはエンジニアの我が儘だよね」的なリアクションをされたりするからやりきれない。流石に今の会社はこの例ほど酷くはないけど、程度の問題で、やっぱりそこかしこにMSOfficeスキーな人が跋扈してたりするわけで。

だから言いたいことは「何でもかんでも」Officeでやろうとしないで下さい、それにつきる。本当にOfficeでやるのが適当か最初に考えてからアプリケーションを立ち上げてくれと。頼むから。


こんな記事を読んで、色々考えてしまう。

idを取るときは
  • 読みやすさ
  • 呼びやすさ
  • 覚えやすさ
  • オフ会臭をさせない
  • ギャップを減らす
こんなことを頭において考えるのが良いとアドバイスをもらいました。
id変更したけど気づかれてない…orz - Javaですよ

いや、俺のID(faultier)って上記の条件全部反対側に当てはまるなぁと。今まで「ふぁうるてぃあ」なんて説明無しに読めた人は高校・大学ドイツ語科の友達だけだし、発音も「ふぁ」とか「てぃ」とか入って呼びにくい。よくfailureと間違えられる。「t(真)を取ったらfailure(失敗)のアナグラム」とか、誰が上手いこと言えと、的なネタになるのはまぁいい。でも、この名前を発した瞬間会話が一気にオフ会臭を放ち出す。語感もなんか可愛くて呼ばれるこっちも気恥ずかしい。アウトじゃん。めっさアウトじゃん。

利点もある

とは言え、このIDはかれこれ3、4年前から使ってて、最近登録したサービスはほとんどfaultierなので、愛着もある。

そう、このIDを日本人で使う人がそうそういないので、まず確実にどのサービスでもIDが取れる。流石にGoogleとYahooは取れなかったけど、はてな・del.isio.us・Twitter・RTM・スタスト・ミルフィール、etc、全部faultierで取ってある。livedoorは実はfaultierじゃないんだけど。これは一度退会した後再度入り直したため、faultierが死にIDになって使えなかったという経緯のため。大抵のところでIDが押さえられるというのは大きい。前のハンドルはどうにも人気過ぎて、いつも後ろに数字を付けてIDにしてたし、呼び方も一定しなかった。

被ることが少ないのは検索にひっかかりやすいという点でも魅力的だ。例えばgoogleYahoo!Live SearchAskあたりならどれで調べても俺に関係あるものが最上位にくる。それに画像検索すると俺の写真がいっぱい出て来て、いかに俺が「ナマケモノ」であるかを一発で把握してもらえるのもいい。まぁ、faultierで検索してもこのブログは上位に出てこないけどね、URLがfaultierじゃないし。うーん。はてダの方からfaultierでアンカー貼るといいのかな。

とはいえ

呼びにくい、覚えられにくい、オフ臭い、キモい、死ねばいいのに、という状況はあまりよろしくないので、愛称でもあるといいのかなぁ。ハンドルの愛称とかもう下僕の手下みたいな感じでちょっとアレな感じもしないでもないけども。

えーとじゃああれだ、最近ずっと「ナマケモノの人と覚えてください」を売り文句にしていて、実際「ナマケモノさん」と呼ばれることが多いので、もうみんな「なま」とか呼べばいいよ俺のこと。生ビール中ジョッキくらいの扱いで、最初の一杯は旨いけどあとは他の酒でゆっくり飲むからもういいやみたいに俺に接してくれるといいと思うよ。

「みんなもっとブログ書けばいいのにー。」
「検索すれば出てくるような記事を改めて自分が書く必要は無いなー」

こんな会話から 「車輪の再発明」という言葉を同期のエンジニアさんに教わりました。
車輪の再発明だとしても記事は書くべき|| Woops'dez | Bloggin'

あるあるある。細かい小ネタだとか、既に他が書いてるネタだとかを気にしてるんだったら、もっと書けばいいのにー。そりゃその道の人から見ると「検索すれば出てくる」程度の話だろうけど、駆け出しエンジニアや他業界の人から見ると、今更な感じの小ネタだったり、試行錯誤していろいろ試してたり、同じ内容でも環境が違うとかだったり、それどころか書き方が違うだけでも、そういうのが結構有り難かったりするし。

でも思うに、ことBlogのことに車輪の再発明を持ち出すのは微妙に違う気がする。「それ、車輪の再発明」って揶揄されるのは、既に低コストで使い易い「何か」があるのに高コストで(とりたてて付加価値のない)似たようなものを作ってしまうことや、特にそれが「世間一般で普及してるものと互換性がない」「似たようなものどころか劣化してる」ような、「四角い車輪」だったときだと理解してるのだけど、Blogで記事を書くことにそれはあてはまらないんじゃないかなぁ。それは例えばこういうこと。

同じテーマの記事でもそれぞれの視点を持って記事を書いていけば、今まで見えなかった角度で物が見えるようになる事もあるはずですであり、それは必ず自分や他人にとってメリットになります。
車輪の再発明だとしても記事は書くべき|| Woops'dez | Bloggin'

ブログ書くのには大層なコストもかからないし、技術や製品そのものと違ってそれ自体を使い回すわけじゃないから標準化とか考える必要ないし。上のようなことを意識したら、同じテーマの記事でもそれはきっと誰の記事とも微妙に違う価値があるはずなので、「車輪の再発明」って言われたら「違います、別実装による多様性の確保です」って返してあげると喜ぶかもしれない。色んな意味で。

あと、車輪の再発明って俺は割とこっちの意図ですることが多い。もちろんオレオレ実装作って悦に入ってたら先輩に「それ車輪の再発明だから」って言われて沈黙することは多々ありますけども。

なお、教育の現場では、ある技術の意味を理解させるために、意図的に車輪の再発明を行わせる場合がある。またプログラマもしばしばその技術を深く理解して自身の技術を向上させるために敢えて車輪の再発明をすることもある。その場合、一時的には標準的なシステムと異なる路線になっても最終的にはそちらに回帰していくこともある。
車輪の再発明 - Wikipedia

車輪を理解するのに車輪を発明してみるのは結構有用だという話。「ノウハウを持っている人は大して需要ないとか思わないでどんどん書いて欲しい」のと合わせて、「『まだ技術記事を書くレベルに至ってない』って思ってる人もどんどん書いて欲しい」かな。

以下の流れを見て本当に萎えたので、反射でエントリを書きます。

先に立場を言っとくと、id:amachangの意見に共感してる。まぁ、そこまで熱い気持ちはないんだけども、一応その上で書いてるということで。

健全とか品格とかは割とどうでもいい

健全なコンテンツかどうかって話は受け手次第だと思うので、特にどうこう言うつもりはない。が、元記事のモバイルサイトで年収4000万稼ぐ18歳の少年って、ゴミだよね。全く尊敬にも感心にも値しない。「ホームページを作る人」ってのが技術やコンテンツの提供者サイドにいる人を差してるんなら、こういうのを持ち上げる*1神経が理解できない。ビジネス?って文脈なら別におかしくないかも知れんけどさ。いずれにせよそれに全く共感しないけど、まぁ「ホームページを作る人」が言う話じゃねーなと思う。自分が作るものよりその辺のゴミのが金稼いでるのかーとか思うと虚しくならんのかな。あるいはユーザサイドでその手のノイズにイライラしないのかな。そういう気持ちが湧かない、あるいはそれがあってなお「今ある蜜」なんて言ってるんなら、きっと「作る人」なんじゃなくて「売る人」なんだろうなと認識するけど。

なんか横槍もいいところ

で、それに対して技術は中立であって善悪まで技術者が責任を取ることは云々、みたいな話が最後にありました。いや、これが本当に萎えた。なんか、流石に今回の件とは論点がズレてると思いますが。まずそもそも、技術の話じゃない。セコい儲け話であって、技術の善悪の話なんかじゃない。だからid:amachangが品格なんて言ったんだと思う。ちょっとそれはいくらなんでもはしたないよって意味で。

それから、技術の善悪まで技術者が責任持つこともない、って話は理解はできるんだけど、善意であろうとする人の方に苦言を呈すのはどうなんだろう。核兵器廃絶に努力する科学者たちの前で「技術に善悪はない、問題は使う側なのさ」って言ってどうする。いや、それはわかるからこそその技術を生み出した側が気を使うんじゃないか。

ましてや、この話はもっと低次元の話で、善悪とかより誇りとかそっちの話。中身なんもないけどフォーマットにそった論文を大量に書いてるとお金沢山入るよ!とりあえずお決まりの広告打っとけばどんなゴミでも売れるよ!やったね!なんて話を得意気に宣伝されたら、真面目に研究したり開発したりしてる人たちや、それでゴミを掴まされる人たちが腹を立てるのは普通だろう。むしろそういうときに真っ先に腹が立つのは技術に誇りを持ってる人なんじゃないのかなぁ。俺は誇れるほど大層な技術もないけど、ビジネス論や倫理観の話の前に自分達が作るものとそういうゴミを同列に語られるのは嫌だし、一消費者の視点でも「どんどんゴミを増やしましょう」なんて言う人を見たら「ちょっと待て」って言うと思うよ。

追記

書ききれてないことがあったのと、「そこまで熱い気持ちはない」とか言いながらもカッとなってやりました感の溢れる稚拙な文章を、冷静になったところで修正したいなとか思ってたんだけど、この辺の記事で大分言いたいことを言ってくれたのでいいかな。

なんつーかな、青いって言われるの承知で言うと、「ゴミが街中に溢れてくるときっと誰かが掃除して綺麗になるから、ゴミを撒くのがビジネスになるうちはやりたい人はどんどんやれ」ってのが解決策だと言えちゃうセンスが嫌だった。そしてそれを言った人が「(ゴミじゃないものを)作る人」を名乗ってるのが悲しかったかな。それが本当にゴミなのかとか、お金が動くってのはどういうことかとか、それはそれなりに意味はあるんじゃないかとか、それを(また別の話として)考えるのは止めない。でも、ゴミをもっと撒けなんて言うのは嫌だ。まぁ、それは言いたかった。

*1:別に賛美などしてない、って言われそうだけども、amachangの言うように啓蒙目的の記事には見えなかった。こんなもん感心した!って文脈でとりあげてる時点でどうかと思う。

85'sがあってもいいよねー。

って思ったものの、同学年をあまり見かけないにゃー。84'sは結構いたみたいだし、86'sは多少交流があるんだけど。谷間?

っていうかむしろ

俺も混ざりたいなー。年の近いエンジニアともっと交流したい。

81’s - ゆーすけべーのナニゲニ

81’sがあるならさ・・・ - devlog.holy-grail.jp

81’sとか84’sとかがあるならさ…

10月の初めに個別指導のバイトを始めてもう1ヶ月くらい経つのだけど、だんだん勉強が苦手な人や、問題を解くとすぐ間違いをしてしまう人の特徴がわかってきた。実際にいろんな人を教えてみると、どんどん自分の中学高校時代の勉強とは違うところが出てくるので結構驚くところが多い。 勉強ができない人・成績の悪い人 - Slow Jamz

という記事を読んだ。いつもならこの手の記事には大抵かみつくところだし、実際最初は何言ってんだと思いながら読んでたんだけど、結構共感するところも多かったので。

要するに、これらの特徴を見ると一貫して「自分で考えるフェーズをすっとばしてる」のが伺える。つまり、「入力」されたものを「処理」してから「出力」という手順を踏んでないから、自分の中に何も蓄積されないというお話ですよね。

続きを読む

先週末大学のサークルの同期と旅行に行ってきたときに、就職先の話題になって、意外とSEになる人が多いということを知った。先輩達もそうだけど、同期の皆も、世の中というものに疎い俺ですら聞いたことのある大企業に就職していく。ここで名前を挙げるのが憚られる程度には名の知れた大手SIerばかり。

タイムリーにもIT業界ってどうなのよ?って話題が盛り上がってるみたいだし、彼らが情報技術にとりたてて興味があったという話も聞いたことがなかったので、すこし気になった。で、何故その職を選んだのかとか、将来的にどうして行きたいのかとか聞いてみた。その彼らが口々に語る夢――より正確に言うならば、計画――を聞きながら、少しだけ暗澹とした気分になった。「最初は現場で1、2年プログラミングの経験を積んで、その後は出世して上流工程をしきるんだよ」「俺は金融の専門家になるんだ」「私、パソコンとか全然わかんないけどこの仕事になっちゃった」「ああ、俺も俺も。あんまよく知らん」「技術を極める人はすげぇと思うけど、別に俺はそれをやりたいとは思わないし、実装だけやってる人に将来性ないよね」「ていうか、実装は下請けの会社がやることで俺らがやることじゃないよな」…etc。

ああ。スーツの世界がそこに広がっているのが見えた。そこそこのネームバリューのある大学名を背負い、逸般人の俺なんかが持ち合わせていないコミュニケーション能力とやらを駆使して、彼らは社会を動かしていくんだ。技術的な素養も情熱も理解も無いままに、政治力と資金力とスーツがものを言う世界でさ。

いや、俺や俺の周囲の環境が(少なくとも今現在の日本では)特異なのは理解してる。Web系とSI系じゃやってることなんか全然違うだろうし、「趣味グラマが叶える夢」と「選択肢の一つとしての職業的SE」じゃ見据えてる将来も全然違うだろうし。それ以前に、「優秀な」彼等と「変人の」俺とはそもそも住む世界が違ってて、たまたま同じ時間同じ空間で歩んできた道が交わってしまっただけなんだろうし。だからそのとき感じた違和感や憤りやなんかをどうしたいとも、思わない。

けど。

ああ、こいつらとは一緒に仕事をしたくないな、と思ってしまった。まぁ多分一緒に仕事をしてくれと頼まれる日も来ないだろうとは思うけども。

追記

思ってた以上に反響が大きかったので多少の追記を。

まず、SIerなどと一括りにしたけど、もちろんSIerにもはりぼてのスーツばかりじゃなく素敵なエンジニアは山程いる。実際に面識のある方々は、ハッカーでギークでクリエイターで匠だった。多重孫請け構造の大手SIerや末端の零細下請け会社は酷いと「聞いて」はいる(もちろん見たわけじゃない)が、一方で自社に技術を抱えている中堅SIerは技術力もエンジニアの意識も高い「らしい」とは「聞いて」いる。

それから、WebとSIは違うと言ったけど、当然ながらWeb系でもどうしようもなく能力や意識の低い連中を見たこともある。というか、SIやら組み込みやらより技術的な敷居は低いんじゃないってブコメの指摘はもっともで、敷居が低い分下限も低かったりして、SI系が「なんとなく金になりそう、出世できそう」ならWeb系は「なんとなくカッコよさげ」って理由だけで入ってくる人もいるしピンキリって意味ではどっちもどっち。

たまたま俺は、マッドエンジニアを自認する師匠と出会えて、その背中を追うべき匠たちと交流を持たせてもらってる。今働かせてもらってる会社には、俺なんかじゃ足元にも及ばないような超人や超変人が跋扈していたり、刺身にタンポポを乗せるどころか自分で舟盛りでも作りかねないマークアップエンジニアがいたりする。そんな幸運を享受しているからこそ、彼らの発言を呆れたものと認識できたし、自分は意識を高く保っていようと自戒することができた。でも、もしそうじゃなかったら、もしかしたら彼らと同じようなことをのたまってたかもしれないし、あるいは彼らが乗っているレールから足を踏み外して、あごで使われてるかも知れない。

つまるところどっかがおかしいんだろうな。学生がアホなだけでなく、文鎮がじゃまなだけでなく、もっと全体的に根本的に。なんとかならないかな。なんとか、したい。「どうしたいとも、思わない」なんて言ってないで、状況を変えるために今後何かして行けたらな。

うちの大学が夏休み中にシステム入れ替えを行ったらしく、今期から学内ネットワークが結構いろいろ変わってた。アカウント名も知らないうちに変更されてたし、履修登録が今まで用紙に記入するシステムだったのがWebから登録・参照できるようにされていた。

履修登録に関しては、前々からこんなもんWebインターフェースにしてくれよと思ってたので、それはありがたいんだけど…まぁいろいろと不満がある。

まず、告知の遅さと配慮のなさ。Web履修登録システム導入の告知があったのが確か9月の中旬くらいだったと思うんだけど、問題は履修登録がその一週間後に始まってたこと。講義には通常科目と人数制限がある抽選科目があって、抽選科目は後期授業が始まる前に事前登録しなければならない仕組みなんだけど、受付期間が9月の最終週の一週間だけ。これ、9月の後半実家に帰るなりしてて告知も知らずネットにもアクセスできない環境にいたらそもそも受講できない。後期が始まってからならならまだ学校のコンピュータルームから登録できるからいいけど、学外からネットにアクセスできる環境にない人なんてざらにいるわけで、配慮が足りない。

通常科目の登録期間は後期が始まってから、つまり今日からなんだけど、これもちょっとどうなのよという対応。何でだかわからんのだけど、学内から履修登録システムへのアクセスが制限されてる。今朝早速履修登録しようと思ってサイトに行ったら、「この時間はログインできません」との文字が。メッセージそれだけ。開始早々システムがダウンしてるのかと思ってPCルームの職員を捕まえて聞いてみたら、十数部屋あるPCルームの内二部屋以外では時間帯によって履修システムへのアクセスを制限してる、とのこと*1

そもそもその意味がよくわからないし。バックボーンがどの程度のものか知らんが、負荷対策取らなきゃいけないほどのアクセスがあるはずもない*2と思うんだけど。そんなに脆弱なシステムなんだろうか。何かおよびもつかないような理由があるんだろうか。それはいいとしても、そんな重要なことはサイトのトップにでも告知しててくれないと困る。聞かなきゃ教えてもくれなかったわけで。

しかも、履修システムにアクセスできる二部屋は全PCルーム中でも小さい方で、学期末のレポートの時期には一日中満員で使えないこともあるような部屋。今週末は履修登録の利用者が殺到すると思うんだけど、それを捌ききれるはずもなく、まぁそのときは制限を緩めるんだろうけど、サポートのスタッフやシステムの負荷が上がって混乱するのは目に見えてる。だから、Webシステム導入に伴って「期間中は自由に追加や削除が出来る」という理由で修正登録という名の救済期間がなくなったのもどうかと思う。この様子じゃ「登録・修正したいけど混んでてできない」「システムの使い方に不慣れで間違えた登録をしてしまった」ってのが絶対出るはずで、たぶん個別の対応に追われるだろう。そっちのが面倒だと思うが、何でもう少し余裕のある導入体制を作らなかったんだろう。

というわけで不満たらたら。ま、4年の後期だというのに年間履修限度一杯まで登録しないと卒業できない俺の方がよっぽど無計画だけどなっ。ぐふ。俺、卒業できるのだろうか。

*1:ちなみに学外には開放してるらしい。普通逆じゃないか?

*2:全学生が1万人にも満たないんだから、せいぜい同時アクセス数十件、多くても百件超える程度のはず。フロント、App、DBそれぞれ数台程度でもきちんと負荷分散してれば余裕過ぎる気がするんだが。

最近話題の手斧で親父を殺しちゃった少女の事件と、それに絡んだTV業界の対応はどうなのよって話。正直これ自体は、はいはいまたかおつかれさん、って流れなんでスルーしようと思ってたんだけど、アニメってそんなに擁護できるようなものなのか?がちょっと気になったので。まぁこの記事にっていうかこの辺の一連の話に関して思うことをつらつらと。

何が「珍妙」で「不可思議」なのかと言えば

毎度思うんだけど、この手の騒動で一番問題なのは短絡的でなんら解決にならない「理由付け」がなされることであって、それ以外のことは瑣末なことがらかもしくは別な文脈で語られるべきことだと思ってる。珍妙で不可思議なのは言うまでもなく、事件が起こるたびにアニメだのゲームだのに理由を求めたがる人々が偉そうな顔をしてることそのものであって、それ自体は徹底的に叩けばいいと思う*1。あの手の人間の言説なんて、「ポロロッカ星人がそうしろと言うので日本は核武装します」っていうのと同程度に無根拠で無責任な話ではあるんだけど、それが流行るのは世の中の多くの人にとってそれを受け入れる方が精神衛生上良いからってだけに過ぎない。かつその結果虐げられる人々が自分ではない位置にいる人達が世の多数派だからそれがまかり通り、結果として無責任野郎ががっぽり稼ぐって構図が、虐げられる側には見えるけど虐げられてる側には見えてない。それはそれは滑稽で何も解決しない社会。叩くべきはまずそれ。「表現としてのアニメ論」なんかよりよっぽど根深くてやっかいな話だと思うけど、何故みんなそこに行きたがるのか。

芸術かどうかすらもどうでもいい

一応、一番ひっかかったとこは引用しとこう。

ひぐらしもSchool Daysも「ヒロインが主人公を切りつけたり,殺したりしたら面白いんじゃないか?」といった思いつきに似た発想で生まれたと思われても仕方がないようなものだと私は認識しているし,消費者(オタク)も「誠死ね」とか「ざまぁww」とか「病んでる病んでるw」といった風に楽しんで,「ヤンデレ」なんていう形で萌え要素として確立させて,病的だったり,脈絡もなく,ただ視聴者を驚かせたいだけにしか見えないヒロインのエキセントリックな行動を笑って楽しむ…といったかなりヘンテコリンな消費の仕方をしている癖に……

WebLab.ota - アニメってそんなに擁護できるようなものなのか?

School Daysは知らないんでなんとも言えないけど、これひぐらしについても言ってるんだとしたら、正直完全に誤読だと思うよ。ただ視聴者を驚かせたいだけにしかみえないなんて、全く読んだことがないか非常に読解力が足りないか歪んだ感覚の持ち主だと思うけど、まぁそれはいいや。

で、上にある「消費の仕方」自体は実際そうだろうと思うけど、それがそんなに「ヘンテコリン」なのか。正直言ってそれが「今回の事件の原因」なんかじゃないだろってのがそもそも話題になるべきことで、楽しみ方自体は別にどうあってもいいと思うんだけど。周囲から見て気持ち悪いってこととそれが「異常な事件の原因」であることの因果関係って本当にあるのかって何度問えばいいんだろう。

だから、

そもそも,我々は,アニメ・漫画作品をどうやったら芸術として昇華できるのか?や,文学的に昇華できるのか?といった努力を(アニメ・漫画業界の一部だけでなく)してきただろうか?

マスコミに対して「我がフリなおせ」というと同時に,我々も「我がフリ」をなおさなければいけないんじゃないだろうか?

WebLab.ota - アニメってそんなに擁護できるようなものなのか?

に対しても、「そもそも、我々は、アニメ・漫画作品を何故芸術に昇華しなきゃいけないんだ?」と答えるぜ。この点に関して言えば、この記事で批判されてる人達もさして変わらない気もするけどね。アニメは芸術であるからして放送される正当な理由がある、というのは裏返せば、芸術でないものは人を殺人に駆りたてる程醜悪で危険なものであると言っているように聞こえるが、芸術であろうとなかろうと、いや何かに殺人を教唆されていようとなかろうと、実際に事を為すのはかなりアブノーマルな状況*2にある人であって、一般的な状況にある人間は殺人者にはならない。

個人的にはアニメを含むオタク文化が殺人事件を発端とする騒動の中においても「擁護」するに値するほどに高尚なものだとは思ってないが、高尚であるとか俗なものだとかってのが論点として上がることそのものが「違う」と思うのでそれなりに「擁護」もしよう。一方で芸術的なものや教育に良いとされるものも手放しで賛美したりはしないし。どれも一様に「良いものは良いし、だからといって大層なものではない」というだけの話。

戻って、テレビ局の話

あとなんか、当り前すぎてみんなスルーしてるんだと思うけど、こういう対応するテレビ業界って「アニメが社会に与える影響」とやらを真摯に考えてるわけでもなんでもなくて、売れると思ったから人気のあるマンガや同人ゲームに乗ってみて、厄介事が起きたら面倒だからなんか言われる前にさっさと逃げてるだけ。だから文化だとか表現の自由とか言っても対して興味ないはず。それはそれで無責任だと思うけど、マスメディアにモラルや志が欠けてるのなんてみんな知ってるし今に始まったことじゃないしアニメ絡みのことだけじゃない。政治家が国民のことなんか見てないのと同程度に、マスコミも視聴者の方なんか向いてない。いろんな角度からそのことを責めたててやるのはいいと思うけど、この件に関しては「文化としてのオタク産業」とか「マンガやアニメと倫理の問題」とかそんな大上段に構えても望む成果はあがらんと思う。

なんか放散してきたので自分のためにもちょっと整理

  • 一番「おかしい」のは、適当なことを言うだけの仕事をしてる一部のダメコメンテーターとやら
    • 自分にとって都合がいいからという理由だけでそれをありがたがる人達は沢山いる
    • でも、その意見に反発してても、芸術性云々でオタク文化の是非を語ってる人達は本質的にコメンテーター達と大差ない
  • マスメディアはそれなりに合理的でそれ以上に弱腰で適当なだけ
  • あと、とりあえず人は殺すな、頼むから
    • 面倒だから奇行や暴行もやめれ

まぁ、いろいろ書いたけど単に面白いものや素敵なものに触れたいだけなんだけどなぁ、俺は。

書き忘れたので追記

参考でリンク張ってる記事の方は「因果関係の濫用」と、放送してる側がもしかして適当なんじゃないかってことに触れているようで。

*1:叩いても無駄な気はしないではないけども

*2:快楽殺人者であろうと、やむにやまれぬ事情を抱えていようと、アブノーマルという点においては変わりない。同情や共感の余地があるかないかの違いはあるが、いずれにせよ決して「ノーマル」ではない。

ここのところ、求人に応募してきたプログラマやシステムを手伝ってもらう外注先企業に、どんな質問をしたらいいかについて意見を求められることが度々ある。いや、そんなの俺みたいなワープア学生アルバイターなんかじゃなくてシステム部の偉い人か凄い人に聞いてくれよって話ではあるんだけども、欲しがってる人材がどうやら俺みたいな頭のネジが足りなかったり多すぎたり変なところにささってるような人らしいので、参考程度にしといてね、と念を押した上で考えてみる。

求人に応募した経緯とか、仕事に取り組むスタンスとか、待遇やらなんやらについての希望とか、は面接担当者が普通は聞くと思うので、俺が聞いてみたいとしたらこんな感じかなー。

  • よく使うWeb上のサービスは何?最近注目してるものはある?
  • 好きな言語は何?
  • 好きなOS/ブラウザは何?
  • 普段使ってる開発環境って何?

いやいやいや、もちろん面白いこと言ってる人がいたらお友達になりたいからオタクを探してるとかそういうことじゃなくてね。うん。趣味が合いそうな人を探してるとかじゃなくて。

一番最初のは、これからWeb上のサービスという素材で、アイディアと技術で勝負しようって会社にわざわざ来る人が、技術にも流行にも興味ないんじゃ話にもならないんで当然聞いておくべきだと思うこと。後の方は何て答えるかじゃなくてどういう答え方をするかが興味ある質問たち。数ある中から一つを「好き」になり、かつその理由を人に述べるまでに至る人は、その裏で他のいろんな技術・思想に触れてそのメリット・デメリットについて判断を下してると推測できるから、そういうことが出来る人は少なくとも「ある一つのこと以外を知らない、知ろうとしない、その現状を無批判に受け入れる」人よりは数段この仕事に向いてると思う。うちらがやる「仕事」は、決められた「作業」じゃない、問題解決と創造ですから。

あとはちょっと前に流行ったfizzbuzzでもやってもらったり、ちょっとボケてみてツッコミを見てみたりするかな。

以上、面接をすることはもちろん受けたことすらあんまりない、とあるナマケモノが妄想してました。みなさんは面接したとき/するとしたらどんなことを聞きますかね。

そう言われてみると、昔の貴族だの大名だのの名前は良く言えば独創的、正直に言えば変てこな読み方多いよなぁ、と最初は妙に納得してしまった。考えてみれば当り前の話で、人の上に立つ宿命を負う家柄なればこそ、我が子にそこらの有象無象と同じに生きて欲しいと願うはずもないわけで、奇抜な名前を付けたがるのも頷けるというもの。流動化の表れ、という観点から、これからも予想より多くの世帯が非定型な名前を指向するだろう、ってのも全くもっともな指摘だと思う。

とは言え。そもそも最初の呉智英がどこまで意図して言ったのかはわからんけども、DQN名から親の程度が知れるって文脈で話してるときのDQN名は単純に難読化されてるとか奇抜あるいはライトな名前ということではない。命名の元になった知識がそもそも誤ってる(例:星と書いて「あっぷる」、聡子のつもりで「恥子」)とか、負の印象を持つ名前が付けられてる(例:仕事中に死んじゃいそうな「殉子」、そもそも成人する前に死んじゃいそうな「早世」)とか、そういうのの方だと思われる。そうなると、id:Mr_Rancelotさんの指摘は若干的外れかと。

だって少なくとも、「親が真剣に子供の人生を考えて命名していて」、かつ親が並の水準程度に学があるか周囲に親の奇行を忠告してくれる人がいるかすれば避けられそうなもので、そうじゃない環境に生まれてしまったことが子供の人生に影響を及ぼす可能性はそれなりにあると思う。それから、親が真剣に子供の人生を考えて…という意味で言えば、流行りもののドラマや漫画にちなんだ名前とか、子供の間は良いけど大人になってからもそれを名乗り続けるのが躊躇われる名前を付ける親も、さっき挙げたDQN名ほどじゃないにしても、どうかと思う。そういう発想って、子供の人生よりも「そういう名前の子供を持つ自分」、あるいは「そういう名前を発想できる自分」にとっての素敵な名前を優先する思考じゃないかなと。で、そういう親が子供の人生の様々な局面で真に「子供にとって」有益で有益な助力をしているか、できるのか、ちょっと不安だ。そう考えていくと、「DQN名付け親」に育てられた子供とDQNでない親の子供の知的水準に統計学的に有意な差が出たとしても不思議じゃないと思う。もちろんあくまで統計学的な話だろうけども。そして元ネタには統計学的なデータはでてこないのでそれ以上何とも言えないけども。

まぁ、それは別にいいんだ。長々と書いたけど、俺が本当に書きたかったのはそこじゃないんだ。

『僕のかつて同級生に「太郎」という名の男子がいました。

生徒会選挙で見事当選しました。

下級生の票を圧倒的に集めたと聞きます。

そんなことを思い出してしまいました。

ど真ん中を貫き切ることができれば、

それが一番の他との差別化になるのかもしれませんね。』

『太郎は輩行名で、そのまま使われる例はむしろ少ないですね。普通は慎太郎のように何がしら一字を付け加えて用いられます。

日本人の代表的な名とされやすい太郎と花子ですが、実はそれほどポピュラーな名前ではありません。

今、逆にそういう名前の方が少数派で、個性が際立つのではないでしょうか。』

green - DQN名と家柄

まったくもってその通りだす。太郎はど真ん中剛速球なんかじゃねぇ。言うなれば、155kmのストレートが自慢の剛腕ピッチャーの投げる90kmのチェンジアップ。一見ど真ん中に見える分だけ余計にタチが悪い。そんな名前を付ける方も付けられた方も捻くれまくってるに決まってるさ。


…そうだよな、親父?

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