As Sloth As Possible

可能な限りナマケモノでありたい

明後日政治学演習の発表があるので、つくる会の歴史教科書とそれに関する議論のレポートを書いている。本当は一ヶ月前から時間があったのに、今頃やってるのはいかがなものですかと毎回思うのに反省しないのが大学生というやつです。お前昔から一夜漬け派だったろって?否、一時間漬け派です!大体レポートは授業のー時間前に書き始めて数分前に印刷してる。プレゼンはぶっつけ本番。試験に至ってはそもそも勉強自体してねえ。…毎回紙一重で切り抜けてきてるのに反省しないのがfaultierというやつです。

左か、右か、それが問題だ

つくる会の教科書はそのまま読む分にはわりと面白いし、あの人たちの指摘は、一面では正しいと思う。中国や韓国の教科書はそれこそ反日感情を育てる教科書のようでも日本側からは何も言わず、一方で内政干渉じゃないかってくらいの要求をはいはいと聞いて、出来た歴史は自虐史だ、っていう主張も、理解出来ないわけではない。いろんな団体が検定に口出しするせいで、奇妙な記述が入ってしまっているって面も、無いとは言えない。

とはいえ。『新しい歴史教科書』の方には、どうしても他の教科書とは違う「ある思想」のにおいを感じてしまう。言うまでもなくそれも作り手の意図のうちではあるのだが。もちろん、歴史というものの性質上、なんらかの主義主張と結びつきやすくて、他の教科書にもその要素が皆無ではあり得ないだろう。それでも、はなから思想的なものとして出すよりは、出来るだけ客観的で冷静なものであろうとすべきだと思うし、どうせなんかしらの思想が植え付けられるなら、「愛国」「誇り」よりも「平和」「悲惨な歴史を繰り返さない」であったほうがマシじゃないかと思う。自信過剰なよりは謙遜し過ぎの方が、積極的に周りを傷つけないだけいい。

日本人ですが、何か?

どうしても、「愛国心」って声高に叫ばれて、右翼的だなと拒否反応が出てしまうのは、日本人としての誇りを持ってないからじゃなくて、その逆じゃないかと思う。俺自身は、それこそ「自虐的な」歴史教育を受けて育ったけども、すごく日本が好きだし、日本人であることを誇りに思っている。誰に言われたわけでもないけど、なんとなくそうだった。自分が生まれたところで、自分の住んでるところで、自分自身のことだから、それが自然だと思う。そう思ってるが故に、誰かから「愛国心を持て」と言われると、自分の意思を勝手に決められているようで嫌なんだろうな。

あれだ。この感覚はあれに近い。宿題、手をつけようと思ってたまさにそのときに、「勉強しなさい」って言われたら途端にやる気が失せる「今やるところだったのに現象」。…違うか。いやそれはまぁ冗談だけど、方向性としてはやっぱりつくる会の教科書は違うんじゃないかなと思うわけです。主張としてはあってもいいけど、こと教育の場面には向かないかと。

考えるのもいいが、動け

とか考えつつ一日中物思いにふけっていたので、レポートはまだ一切手を付けてません。ていうか、この日記書いてる暇あったらその内容をレポートにしろと。はい。

暇つぶしのつもりが…

サークルも引退し、新しいバイト先も決まって、なんとなく心に余裕を持って迎えた3連休。折角だからなんかしようと思い立って、RSSリーダー、といかRSSティッカーの開発を始めた。Cocoaの勉強は随分サボってたし、RSSを扱うプログラムを書くのは仕事(Webシステム開発)の役にも立つだろうし。ってことで数ヶ月ぶりにXcodeを起動させてみる。おおう。どうやって使うんだっけ。

経験はハウツー本より強し

1年前趣味で始めた頃は数週間で熱が冷めて、Objective-Cの独特の文法と情報量の少なさの前に早々に挫折したCocoaアプリ開発だけど、久々に手をつけてみると意外とわかるわかる。アルバイトとしてシステム開発の仕事に携わり始めて、半年。社内体制もプロジェクトの進め方もむっちゃくちゃで、仕事と言えばPHPやJSPで書かれたぐちゃぐちゃなコードの保守ばかりで、はっきりいって何のプラスにもならなかったと思ってた今の会社での仕事もしっかり経験になってたんだなぁ。データベースやXMLなんて、趣味でやってた頃は申し訳程度に弄ってただけだったもんな。…ほとんど自力で勉強してた気もするけど。ていうかベタ書きのPHPとObjective-Cじゃほとんど共通点無いけど。まぁいいや。

高僧と門前の小僧しかいない世界

てな感じでXcodeで遊んでたら、面白くなってきた。奥が深いなぁ、Objective-C。独特の構文も見慣れてくると味があるように見えてくる。言語の優劣を語れるほどいろいろ知ってるわけではないので余計なことは言わないようにしますけど、良いですよ、Objective-C。Cocoaも素敵だし。

…もう少しドキュメントが整備されると、尚良いんですが。MacOSXになってから以前より注目度が上がったとは言え、ユーザの母体数がWindowsやLinuxに比べると圧倒的に少なくて、その中でも開発者人口ともなると微小な数に過ぎなくて、さらに日本語で情報を発信してるサイトなんかGoogle先生でも数えるほどしか見つけて来れないレベル。その見つけたドキュメントにしても書籍にしても、凄い高度な内容か入門程度の表面的な内容かしかなくて、ちょっと弄ってみるって所から脱して自分で考えたアプリケーションを組み上げてみる、っていう2ステップ目に踏み出す助けには、あまりならない。しかも、MacOSXもCocoaもXcodeもガンガン進化してる最中なので、1年前の情報が半分くらい役に立たない始末。ぬーん。英語を、英語を読めと言うのね。仕方ないから読みますよ。読みますけど。MacOSX向けのフリーソフトがなかなか増えないわけだよなぁ。

そう言えば、本業忘れてた

ふと思い立って、Macの言語設定を日本語からドイツ語に変えてみた。

最近仕事も趣味もコンピュータづいてたので、他のことを考えるのをすっかり忘れてたけど、そう言えば大学でドイツ語学科だったりするんだよね、ってことを履歴書書きながら思い出した。ヤバい。全然、ドイツ語に触れてない。一応、もう一個の専門分野の政治学は普段から政治ニュースでもチェックしてれば忘れることもないんだけど、ドイツ語は…授業にも出てないしドイツ人にも会ってない。これっぽっちもドイツ語が口から出てこない。まずい。

というわけで、「1日の大部分はMacに向かってる→Macをドイツ語表示にする→1日の大部分はドイツ語に向かってることになるんじゃね?」と安易な思いつきでドイツ語表示にしてみた。iPodもドイツ語。ついでにNintendo DSの表示言語もドイツ語にしてみた。最初の起動画面くらいしか変わらないけど。

Ausschaltenってなんだ??

結果。予想以上にわけわかんない。コンピュータ用語だから、というのもあるかもしれないが、選択肢の意味すらわからず、逐一辞書を引くはめに。電源落とそうにも、どれが終了を表してるのかわからずしばらく悩んでしまった。うーん、これは結構勉強になるかもよ。ていうか、高校・大学合わせてドイツ語歴6年目になろうってのに、なんなんだこのざまは。どんだけサボってたんだ俺。

しかしながら…

まぁ、予想してはいたけれども、馴れてくるとドイツ語表記にも違和感を感じなくなってくる。もちろん、数時間で飛躍的に読解力が向上した、なんてことでは全然ない。そもそも普段、愛しのMac様のお言葉にほとんど耳を傾けていない、もとい目を向けていなかったのだ。

Macはそもそも見て分かりやすいインターフェースだし、SafariやiTunesのような日常的に使うものに関してはショートカットキーを多用している。エディタやウィジェットは日本人が作ってるフリーソフトを拾ってくることが多いから、ドイツ語リソースが入ってない。CUIでの作業やプログラミングにはそもそも日本語を使わないので、英語だろうがドイツ語だろうが関係ない。また最初は戸惑ったアラートメッセージや終了・ログアウトの操作も、よく考えてみれば普段いちいちメッセージなんか読まずに感覚的に操作してるの思い出した。要するに、言語なんかあんまり関係ないくらいにMacに馴れてしまっていたのだ。意味がない。

どーすっかな

というわけで、「1日好きなことしてるのにいつの間にかドイツ語漬け!?」作戦は失敗に終わったのだけども、ドイツ語のように日常にほとんど姿を見せないものに絶えず「触れて」居られるというのは全くの無意味ではないかもしれない。もしかしたら中学生あたりに英語表示のMacを使わせたら学習効果あるかも、なんて。…いや、多分面倒くさがって使わないだろうな。

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