この間から「イヴの時間」にハマっている。

映像が綺麗とか音楽が好きとかナギさんのウインクとか諸々全部ツボに入ったので勢いでDVD全部買ってしまってああ俺もうドリ系でいいやとか思い始めてるんだけどそれはひとまず置いといて、このテーマ。もの凄く精巧なアンドロイド、「当店内では人間とロボットとロボットを区別しません」という「イヴの時間のルール」、何度も流れる倫理委員会の公共広告、そして「ドリ系」こと"Android Holic"。「人間」と「人間でないもの」が共存する世界においての、互いの関係。

劇中でも象徴的に出てくる、アシモフのロボット工学三原則とかブレードランナーを持ち出すまでもなく、SFでは何度も語られてるテーマだ。そう言えば昔哲学書か何かでも読んだことがある気がする。その辺は別にあんまり詳しいわけでもないので、さぶかるちゃん辺りで誰か取り上げてくれたりしないかなーとか、適当に呟いてみる。

それはそうと、これを観ててふと面白いことに気付いた。俺は、このレベルのアンドロイドが実用化されたとして、それを人と同列に扱うことに多分何の疑問も抱かない。むしろ、そもそも劇中でアンドロイドに人格を見出すことが危険視されていることすら違和感があった。

…想像力。ペットに話しかける人がいる。何か像に特別な意味を見出す人がいる。フィクションの世界の登場人物に恋をする人がいる。自分の愛用の道具を労わったりする人がいる。気に入らない動きをする道具を怒鳴りつける人がいる。文字と画像だけでも実際に会ったこともない人と会話が出来る。どっかのパソコンで動いてるプログラムと会話が出来る。死んで肉になったものも人として扱う。その肉すら無くなっても人として扱う。人は人を感じる要素があるものに対してはなんであれ人を感じることができるし、人でないものに対してすら人を見出してしまうし、そこに何も無くたって人を作り出してしまう。とんでもないな、人って。

だったら「人の姿をして、人の様に思考し、人と会話ができるように見える」ものなんて余裕で人の範疇じゃないの。チューリングテストじゃないけど、中身が何であれどうやら自分と同じように振る舞うものは人だと思っていいんじゃないの。だって目の前にいる「本物の人間」だって中身が何なのか本当に自分と同じなのか俺は知らないけど、多分人だし。

とか取りとめ無く考えてたら、昔AIを作ろうとしてたことをふと思い出した。プログラミングに二度目くらいに熱中してたとき、生物の授業をやたらとわくわくしながら聞いてたとき、大学で言語学の勉強をしようと決めたとき、哲学の講義で居眠りをしてたとき、心理学の実験室に遊びに行ったとき。確か俺はその度にAIを作ろうとしてた。何度か書いたあのプログラムはどこ行ったんだろう。そんで俺は何を作ろうとしてたんだろう。

とくにオチは無い。またAIを作りたくなった。