twitterの呟きをそのままブログに載せるのってどうなの?っていう記事を見て、最近思ってたことで書いてなかったなぁってことがあったのを思い出した。
元記事に書いてあることには概ね同意で、俺も個人的には「ただ載せる」だけならやんなくてもいいのになぁと思ってるけど、元記事には結構「イヤなら見るな」「別に書き手は”あなたのために”書いてるわけじゃない、あなたが見たい/見たくないものを考慮して書く必要なんかない」ってコメントが付いてたりして、それに対してもまぁそれもそうだよなぁとも思ってる。俺がどうしてるかというと、readerにその日一日のポストをまとめた記事が上がってきても単にjjjって押してスルーするだけだし、あまりそれの頻度が高いようならレートを落として週一で見るだけにしたりもういっかーってんで購読停止したりすることもあるけど、だからってそのブログを書いてる人に「もっと読む人のことを考えた投稿をすべきじゃないですか」なんて意見したりはしない。受け手側が好きに取捨選択すればいいだけの話だとしか思わないしそうするのがWebだろうとも思ってる。
けどまぁ、ねぇ、と思うこともあるのですよ。なんと言うか、もちろん腹立たしいとかではなくて、勿体ないなぁ、というか。
twitter自体は本当にただ「つぶやく」ことができるというだけのサービスなので、そこに何を流そうが流す方の自由だし、そこから何を受けとろうが受けとる方の自由。生データ。どのくらい「生」なのかと言うと、例えば鉱山にある岩塊だったり渓谷に流れる水だったり森に生えてる野草だったりするくらいの「生」加減だと思うんだよね、あれって。
で、そういうものって、もともと「そこにある」分には「そのまま」でいいと思うし、「欲しい人は自分で山に入って取ってきてね」ってスタンスだったらそれはそれでいいんだけど、「街に持ってきてみんなに配ったり売ったりしよう」と思ったら、普通は岩塊や水や野草のままじゃなくて、岩塊は鉱物を抽出して金属塊にしたり、水はペットボトルに入れておいしい水ってラベル貼ったり、野草は薬や料理にしたりするよね、っていう。そして個人的には「twitterもやっていてブログも持っている」人が「twitterで見られるものを敢えてブログに持ってくる」というのはきっと「山奥の資源を街に持って帰ってくる」に近いような位置付けじゃないのかなぁ、と思う。
別にだからどうだと言うこともない。ブログにしろtwitterにしろ、あくまで道具なので使う人が使いたいように使えばいいだろうと思うし、だから一日分のつぶやきをまとめて貼ろうが、そもそもブログそのものをtwitter的な「生のデータを生えたい放題にさせとく場所」にしたって全然構わないと思う。俺自身、(このメインブログでは基本的にそれはやってないけど)サブブログでは本当につぶやきとか日記レベルのことを書いてたりする。上に書いたようなことも単に「俺が個人的に」「受け手として」思うだけの話で誰に何を提案するわけでもましてや強制するつもりもない。けど、「勿体ないからどうせなら加工してから店に置いときゃいいのになぁ、そうしたらきっとみんなもっと喜ぶだろうに」というなんだろ、感想、みたいなものはよく抱く。素材だけじゃなくて「編集する」っていう「料理人の腕」も見てみたいなぁ、とか。そんなもやっとした結論。